SSブログ

赤穂城(2) [お城]

続きです。


赤穂城までの道のりには、様々な看板や解説版が設置されていて、単なるお城マニアや、忠臣蔵ファンの方などに、もっと深い赤穂の姿を伝えてくれる。
たとえば、江戸時代に敷かれた赤穂の上水道が、武家屋敷だけでなく町屋にまで配水しており、江戸・福山と並んで日本三大水道と言われていることなど、実際に赤穂に行ってみなければ、知ることのなかった情報を得ることができました[exclamation]


赤穂城6.jpg


赤穂城は、初代藩主浅野長直の指示により、赤穂藩家老にして軍学師範である近藤正純設計のもと、慶安元(1648)年から13年かけて築城。海に面する地形を利用し、近世軍学に縄張手法を取り入れた変形輪郭式の海岸平城なんだとか。
って、さら~っと書かれていると、へぇ~って思っちゃいますが、1648年といえば、3代将軍徳川家光が死んだ年ですよ。もうね、日本はめっちゃ平和なわけですよ。城、要る[exclamation&question]
江戸時代に城を作る…ということは、え、これから戦争を起こそう(=幕府に弓引こう)ってこと[exclamation&question]と思われるわけで、もちろん幕府の許可がない限り城なんか築けない。だから、嘆願を繰り返すわけです。万が一、いざ、幕府に弓を引こうなんて者が現れた時、ここが、幕府を守る要になりますよ、必要ですよ…とプレゼンテーションを繰り返し、やっと許可が下りて、作られたのが、この赤穂城なわけです。
戦国時代の急ごしらえの城ではなく、軍学に則って、誰もが納得するような、しっかりと備えのできた城が建造された…ということになります。
しかし…そのわずか40年後に、赤穂事件が起きて、藩は取り潰され、城はあっさりと開城、ご先祖様の無念の声が聞こえてくるようです…[バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)][バッド(下向き矢印)]


赤穂城7.jpg


海に近い平城ということで、赤穂では、井戸を掘っても海水が出てしまうのだとか。
それが、日本三大水道のひとつになる上水道の整備に繋がったのでしょうね。外堀の下をくぐらせた上水を、サイフォンの原理で水圧によって吹上げさせ、三の丸⇒二の丸⇒本丸と巡らして、最終的に瀬戸内海に排水されていたとのこと。すごいですね、江戸時代の水道施設[ひらめき]
ちなみに、この水道、赤穂城よりずっと古く、元和2(1616)年に敷設されたのだそうです。
おお、なんと、シェイクスピアの亡くなった年…そう考えるとすごい技術ですね。


赤穂城8.jpg


大手門です。
石垣は、すべて切込接(きりこみはぎ)。城としての新しさを感じます。


赤穂城9.jpg


見事にわかりやすい桝形虎口です。


赤穂城10.jpg


こちらは、番所を再現したもののようです。


続きます。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。