品川(2) [┣その他の旅]
徒歩の旅、いよいよ最後になりました。
しながわ百景の看板も撮影しておきました。
品川宿本陣跡です。
広重の版画がタイルになっていて、宿場町品川の雰囲気がいっぱいのゴール地点だった。
まあ、江戸時代は、日本橋を出立して品川で泊まるなんて人はいなかったそうですが。(53日かかっちゃいますもんね。)
高輪~品川(1) [┣その他の旅]
高輪海岸の石垣石。江戸時代のものが、1995年に発掘されたとか。
さあ、もう品川駅を越えました。ここは八ツ山橋。京急の北品川駅辺りですね。
ここは、3代将軍家光と、沢庵和尚が問答をした場所と伝えられている。この辺に東海寺というお寺があったみたいで、家光が「海近くして東海寺(遠・海寺)とはこれいかに」と問うと、和尚が答えて「大軍を率いても小軍(将軍)と言うが如し」と。
家光は後に、禁中並公家諸法度に抵触したとして、沢庵和尚を島流しにしてしまうのですが、なんとなく、そんな未来が見えてくるような、バチバチした問答のように思ってしまいます。
土蔵相模。相模屋という旅籠の跡地のようです。土蔵のような海鼠壁が貼りめぐらされていたため、土蔵相模と呼ばれていたそうです。
ここで、御殿山に英国公使館を建設するという計画に反対していた攘夷論者の高杉晋作らが、焼き討ちの密談をしていたとか。
さあ、ようやく品川宿、品海公園に到着です。
泉岳寺(3) [┣その他の旅]
長矩公夫人の墓とあるので、ここが瑶泉院のお墓のようです。
そして、大石良雄、つまり大石内蔵助のお墓です。
こちらが、浅野長矩、内匠頭のお墓です。さすがに大名のお墓なので、立派です。
泉岳寺の山門です。
別角度から、内蔵助像です。
泉岳寺(2) [┣その他の旅]
泉岳寺といえば、赤穂義士の墓所。こちらの一角です。
瑶泉院ゆかりの梅だそうです。
こちらは血染めの石、血染めの梅という名で、浅野内匠頭が切腹した田村右京太夫邸にあったものだそうです。
そして、ここが首洗の井戸。
天野屋利兵衛さんの浮図(卒塔婆)。
討ち入りのための武器調達をした、と言われている豪商です。
高輪(2)~泉岳寺(1) [┣その他の旅]
“はつり”をしている大きな石を置いている辺り、江戸幕府の気合いを感じる。
史跡認定のしるし、みたいです。
はい、やってまいりました、泉岳寺。四十七士の墓どころ。
こちらが、大石内蔵助像です。
澤木興道老師像とのことです。20世紀に最も活躍した禅僧の一人で、坐禅を広めた方のようです。
田町~高輪(1) [┣その他の旅]
そんな芝辺りで、だいたい日本橋から一里=4キロという距離を歩いたことになるとか。
一里塚じゃないけど、こんな表示がありました。
田町に入ると、勝・西郷が江戸城無血開城を決めた会見の地の碑があります。
同じ田町に「札の辻」があります。
高札場のあった場所だそうで、ここにお触れが掲示されていたのだとか。
そういえば、お触れがこんな風に掲示されるって、世界でも珍しいんだとか。庶民の中に字が読める人がけっこういる、ということ自体がすごく珍しいそうで…。
東海道から江戸府内への出入り口である高輪大木戸の跡。
城でもないのに、いい石垣なんです、これ。
増上寺(2) [┣その他の旅]
この先に徳川家の墓所があります。
この扉の向こうが墓所ですが…ここから先はチケットを買わなければならないらしいです。
ちょっと時間がなかったので、今回はパス。
墓所×東京タワー…シュール
法然上人の幼少時の像がありました。
増上寺は、浄土宗なので、開祖・法然上人を大切にしているのでしょう。
増上寺前の公園みたいなとこに、ペルリ提督=ペリー提督の像が…なかなかハンサム
増上寺(1) [┣その他の旅]
こちら、大門。
増上寺の外門になります。地下鉄の大門駅は、たぶん、この門の近くにあるからそういう名前なんだと思います。
今年3月に、東京都から増上寺に返還されたのだそうです。
こちらが、三解脱門。この門をくぐると三つの煩悩から解脱できるそうです。
くぐりました
1633年に建立された鐘楼堂。こちらは、戦後に再建されたものです。
この大梵鐘は、約15トンもある巨大なもので、江戸三大名鐘のひとつだそうです。
西国まで鳴り響いたという川柳も残っていますが、それは、近くに有馬家、島津家の江戸屋敷があったから…らしいです。
増上寺の魅力のひとつが、この背景との違和感だったりします。江戸と東京がひとつの写真に納まっている…というか。
続きます。
銀座~芝大神宮 [┣その他の旅]
こちら、銀座発祥の地の碑です。
江戸時代、銀貨鋳造を行う「銀座役所」がここに設置されていたんですね。
碑は、銀座通りの二丁目辺りにあったと思います。
皆さん、銀ブラとは、なんの略だか知っていますか
銀座をぶらぶら歩くことかと思いきや、「銀座でブラジルコーヒーを飲む」ことだったんだとか
こちらが、その銀座のブラジルコーヒー店、パウリスタさんです。
銀座から新橋に抜けた辺りに、日比谷神社があります。そもそもは日比谷公園にあったのだとか。
さて、次は、芝大神宮です。
巫女さんが出てきているのは、ここで結婚式が行われるところだったからみたいです。
京橋 [┣その他の旅]
京橋大根河岸青物市場跡の碑です。
京橋というか、ほぼ銀座一丁目という場所に、青物市場があったんですね。
そして、なんと、ここが江戸歌舞伎発祥の地でもあったんですね。すごいな、京橋。
はい、そして、こちらは京橋の親柱です。もう、京橋という橋はないので、柱だけが残っています。
京橋~銀座一丁目というと…かつて、ここにル・テアトル銀座があったのですが…すっかり更地になっています。
ここには、映画館もあって、10年前、旗艦館としてお世話になったこともあり…感無量です。てか、事務所もこのすぐ後ろだったんですけどね。
日本橋(3)~八重洲 [┣その他の旅]
なんだかオペラ座みたいな装飾ですね。
慶喜サマの御筆跡をもう一度。
「日本橋」の上は、獅子かなぁ
さて、日本橋から八重洲、歩けばあっという間です。
「八重洲」というちょっと不思議な地名は、オランダ人、ヤン・ヨーステンに由来する。この辺りに屋敷があったんだとか。ウィリアム・アダムスこと三浦按針と一緒に日本に漂着し、徳川家康の家来となったそうです。
このすごい装置は「平和の鐘」です。毎時0分に鐘が鳴ります。
左のお顔がヨーステンさんなのかな。
日蘭修好380年を記念して1980年に作られたそうです。
日本橋(2) [┣その他の旅]
東京市道路元標。やはり、お江戸日本橋が起点ということなんですね。
でも、ここは本来の場所からは少し移されていて、もともとの元標地には佐藤栄作揮毫の「日本国道路元標」という小さな目印が埋設されているとのこと。
こちらが佐藤栄作氏の揮毫によるものの複製です。
こちらは、日本橋三越。この地は、その昔、日本橋魚河岸でした。その名残を著わしているのが、三越マークの背景です。アップにしてみますね。
「越」マークの周囲を魚が泳いでいるのです
そんな魚市場発祥の地がこちらです。関東大震災の後、築地に移転し、東京都中央卸売市場に発展します。
日本橋(1) [┣その他の旅]
東海道五十三次踏破というJTBの企画に参加してきました。といっても、日本橋~品川。はてさてどんな旅になるのやら。
スタート地点は、こちら、日本橋です。
橋名「日本橋」の文字は、徳川慶喜の揮毫だそうです。
日本橋の下を流れる川の名前、それは、「日本橋川」なんだとか。
すごい、橋がメインか!
この日本橋が、全国の道路の起点となるため、色々な都市への距離が記載されています。粁(キロメートル)という漢字が使われていますね。鹿児島まで、1,469キロ。なんか、近いような気がしてしまうのはなぜ
横浜までは、たったの29キロです。なんか、歩けそう…と思ったら、昔の方は一日で歩いていたそうです。
肝心の京都までは、503キロですね。女性の足でも18日程度で踏破していたとのことです。
札幌までは1,156キロですね。そして千葉までは37キロ。
日本橋は、千葉よりは横浜に近く、鹿児島よりは札幌に近いようです。