上田城(3) [お城]
続きです。
こちらが真田石です。
巨石を石垣に入れるのは、城主の権威にもなるようで、あちこちの城に巨石があります。
この真田石は、真田信之が松代に移封を命じられた際、父の形見として持って行こうとしたが、微動だにしなかったという伝説があるようです。
雪の真田神社。
晴れていたので、軒から溶けた雪が落ちてきて大変でしたが、ちゃんと公演の成功をお祈りしてきました。
(「HEADS UP!」長野公演のために現地を訪れています。)
神社のなかにこのような門があるので、とりあえず、くぐっておきました。
この日は走っていなかったようですが、ロクモンという列車があるのですね。
時計も六文銭の幟みたいになっていました。これは、駅前です。
はい、こちらにも真田幸村公でした。
上田城(2) [お城]
続きです。
真田幸村(信繁)像。これも上田市観光会館の中にありました。
こちら、猿飛佐助さん。
なんか、「戦国BASARA」を思い出しちゃいますね。
さて、いよいよ、上田城。
雪に覆われた、二の丸橋です。この状態、あまり、あちこちは回れない感じでした。
平和の鐘…だそうです。何物かというのは、近くまで寄っていなかったので、わかりません
東虎口櫓門です。右手の看板のところにあるのが「真田石」です。
(てか、真田石だけの写真がないってどういうことやはり、別の季節に行き直すしかない…)
続きます。
上田城(1) [お城]
真田氏の居城、上田城に行ってきました!
平成17年に中国・寧波市から寄贈された石刻獅子像です。
この地に禅宗文化をもたらした市内・安楽寺開祖・樵谷惟僊が寧波と行き来していたことなどから、平成7年に友好交流都市提携関係にあり、その十周年をお祝いして贈り物をしあったということのようです。
上田市からは、「上田獅子」の石彫レリーフを送ったそうです。
JR上田駅には、こんな撮影スポットも。
「真田丸」の影響か、「真田信繁(幸村)」という表記が当たり前になってきましたね。
上田市観光会館にも「真田丸」撮影小道具・衣装が展示されていました。
奥が「白糸巻朱鞘陣太刀」、手前が「白糸巻朱鞘腰刀」。
鹿角刀架けに乗った「白糸巻柄朱鞘陣太刀」。
そして、左から真田幸隆、真田正幸、真田信繁の鎧兜。
信繁の陣太刀は、大河ドラマ仕様だそうです。
東京国際フォーラム正月展示(4) [季節感]
続きです。
こちらは、「御引直衣(おひきのうし)」といい、天皇陛下のお召し物です。裾を引く直衣ということから、この名があるそうです。
即位の礼、神宮・神武天皇陵・前四代の天皇陵への勅使発遣の儀の際にお召しになるとのこと。
こちらは、御祭服(ごさいふく)。
天皇が大嘗祭の神事の際にお召しになるものだそうで、純白生織の絹地で製作されるとか。冠にも布を巻いているのが特徴のようです。
このお召し物は、淳和天皇の践祚(823年)の時からこのスタイルなんだそうで…すごいことです。
こちらが、黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)です。
天皇陛下が儀式などでお召しになることの一番多い装束とのことで、天皇陛下といえば…のイメージがありますよね。即位の礼にお召しになるようになったのは、明治天皇からだそうです。
ということで、フォーラム展示は、ここまでとなります。
東京国際フォーラム正月展示(3) [季節感]
続きです。
こちらも源氏物語ジオラマのひとつ。
平安時代の寝殿造の建物の中は、こんな風になっていたんですね。
こちらも…です。
もう少し俯瞰で観られる展示方法だとよかったな~
高い天井から垂らした幟旗…でいいのかな
高御座と御帳台。即位の礼のジオラマです。
黄丹袍(おうにのほう)と、冠。黄丹は、昇る旭日を表し、皇太子以外は着用出来ない禁色だそうです。
続きます。