大友皇子自害峯 [┣あかねさす滋賀の旅]
石田三成をめぐる旅をしているはずが…
関ヶ原は、徳川家康と石田三成が戦う千年ほど前にも、雌雄を決する場所になったことがあった。
天智天皇の息子である大友皇子と、天智天皇の弟、大海人皇子の間で…。
その結果、負けた側の大友皇子は敗走して自害、その首が首実験の後、埋められたのが、ここ。
すごい厳かな雰囲気の場所で…
大友皇子の冥福を祈りました。前にお墓にも行ったので、よけい親しみやすい。
この下の方の川は、合戦当時、血で赤く染まったと伝えられている。
三本杉だけ、異様な姿なので、すごく目立つ。
だからここに首級を埋葬したのか、埋葬されているから異様な杉が育ったのか…でも、たしかに樹齢千年を超す樹だなーという感じはした。
近くに不破の関の記念館があり、そこも訪れて、壬申の乱について、再び勉強してみた。
なんとなくあっちかも…と動物的なカンが呼んでいた [┣あかねさす滋賀の旅]
とはいえ、こっち側には期待していた歌碑関係はなさそうだ、と、反対側を見ると、ちょっとうっそうとした感じが、それ風に見え、心配しながらも、なんとか証拠を見つけようと、とぼとぼ歩くことにした。
それにしても、10月も終わりだというのに、暑い…
それにしても、10月も終わりだというのに、暑い…
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