長等山前陵 [┣三井寺を巡る旅]
三井寺の目と鼻の先に、長等山前陵がある。
弘文天皇-天智天皇の息子にして、壬申の乱の敗者、大友皇子の墓所がここにある。
「あかねさす紫の花」公演時、訪れたくて諦めたのがここ。なぜなら、次にこの辺に来る時には、祐飛さん(天智天皇役)は退団しているかもしれないけど、みりお(大友皇子役)はまだまだ在団しているから、次に回そう!と言い合ったのだ。
やめてないし…トップだし…
本編ブログにも書いたが、弘文天皇が歴史的に認められたのが明治時代。日本書紀は、壬申の乱勝者の天武天皇の命令で編纂された歴史書なので、大友皇子が即位していた、なんていう記載はない。明治時代にようやく“陵”と認められたので、天皇陵に相応しい広さが確保できなかったようだ。
天智天皇陵を見た後だったので、その無理矢理押し込めた感じが切なかった。
陵のすぐ裏にある、国宝新羅善神堂。国宝なので入れてもらえない。
すぐ外は大津商業高校のグランドになっている。右手奥の杜が御陵から新羅善神堂の辺りかと思われる。反対側は市役所だしなー。ほんと場所がなかったんだなぁ。
おまけの大津絵美人画、藤娘。大津絵は、あちこちにこういうモニュメントがある。
天智天皇の産湯? [┣三井寺を巡る旅]
この三井寺には、天智、天武、持統三代の天皇が産湯に使ったという、湧水がある。
豊臣秀吉の北政所、ねねによって、こういう建物が上に建てられ、祀られるようになった。
中側になにやら、しめ飾りのようなものが見える。
湧水の音は、中でこだまして、神秘的な雰囲気だった。
なんかいわくありげな石なんだけど…どうして撮影したのか、覚えていない…
弁慶の引き摺り鐘と呼ばれるもので、弁慶が引き摺っている時に、「イノーイノー(関西弁で帰りたいの意)」と鳴いたので、弁慶が怒って谷底へ投げ捨てたと言われている。
これも三井寺の中の風景。引き摺り鐘を納めてある堂から外を撮影したんだっけな?
たしか智証大師だったと思います。
三井の晩鐘 [┣三井寺を巡る旅]
琵琶湖疎水とともに歩くこと10分あまり、長等山園城寺に到着!
こちら、山門です。
園城寺は、天台宗寺門派の総本山。
ここには、近江八景のひとつ、「三井の晩鐘」がある。
こちらです。
実は、この鐘、金300円で、つくことができます。
ちょっとロングで撮影。
琵琶湖疎水 [┣三井寺を巡る旅]
天智天皇陵参拝を終えて、再び、京阪電車へ。
これ、参道に向かう橋のところ。やっぱり、美しいところです。山科陵!
三井寺で下車して、長等山園城寺(通称三井寺)までは、琵琶湖疎水と並行している。
シリーズ、水門、です。
こちらも水門。しつこい?
琵琶湖疎水、こんな感じで流れています。