秋山兄弟生誕地(2) [┣その他の旅]
続きです。
庭にあった秋山好古騎馬像。
こちらは、好古が晩年を過ごした家を忠実に再現した室内。
晩年、好古は出生地の松山に戻り、中学校の校長に就任した。その記録も残されていた。
もっとゆっくり見ていたかったが、この後、大洲に行くという予定にしていたため、後ろ髪ひかれながら、松山を後にした。
というわけで、次は、大洲城です!
道後温泉(2) [┣その他の旅]
続きです。
道後温泉には、聖徳太子も行ったことがあるそうで。
当時の宮廷の方々には、メジャーな場所だったのかな
こちら、展示されている「坊っちゃん」号。
時間の関係で私は乗れなかったのですが、実際に、松山駅前から道後温泉の間を観光客を乗せて走っています。
横から。
こちらは正面から。
で、この道が、「熟田津の道」です。
そうです、額田王が、
「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出な」と詠んだ熟田津への道だそうです。
わくわく~
GWの長い一人旅は始まったばかり。
でも、幸先いいな~と思った道後温泉でした。
米沢と上杉神社(4) [┣その他の旅]
続きです。
直江兼続の四百回忌だそうです。
イケボの村上兼続(「真田丸」の村上新悟)も忘れられないですが、鳳翔大ちゃんの兼続(宝塚の「前田慶次」)もかっこよかったなぁ
ちなみに、上杉神社から駅に向かう道は、映画「SWING GIRLS」のロケ地になった場所なんだそうです。
この交差点だそうです。(映画見てないのでわからない…)←というオチ
米沢駅は、「義」と「愛」でできています
米沢と上杉神社(3) [┣その他の旅]
続きです。
こちら、上杉家中興の祖、上杉鷹山像。
有名な「なせばなる…」の碑もあります。き…厳しい…
上杉神社は、別格官幣社なのですね。
国家に功績を挙げた忠臣や、国家のために亡くなった武将・志士・兵士を祭神として祀る神社だそうです。
わー、いかにも明治…な考え方…ちなみに、この制度は、GHQにより廃止されているんだとか。てか、そもそも、国家のために亡くなってないだろ、上杉謙信…
ちょっとした池がありました。風情あります。
こちら家訓。撮影する私が微妙に写っているのはご愛敬(笑)
こちらは戊辰戦争の折りに、戦死した米沢藩士を祀っているそうです。後に、西南戦争、日清・日露の戦争で戦死した将兵も合祀されたそうです。そっか…最近、幕末を扱う作品がテレビでも宝塚でも増えてきて、なんか、あの時代を身近に感じます。
一緒に祀っているところがいいね
続きます。
米沢と上杉神社(2) [┣その他の旅]
続きです。
いよいよ、謙信公を祀る上杉神社に到着。
手前が濠になっていて、まるでお城のよう…というか、ここは、米沢城の敷地なんですね。
この時点では、米沢城(続百名城)のスタンプが整備されていないため、今回はスルーしました。(もしもし)
こちらがお濠。のんびりした感じです。
上杉謙信公。
謙信の時代は越後在住だったのですが、跡を継いだ景勝の時代に、ここ米沢に移ることになりました。
というわけで、実は、米沢とはゆかりのない謙信公。なぜか、ここで神となりました。
こちらが、景勝&直江兼続の像。関ヶ原で負けて、会津藩120万石から、米沢藩30万石へ転封。
その際、米沢城主だった兼続が、自分の城を景勝に譲り、すぐに入城できるように計らったのだとか。
ちなみに、ここ米沢城が、伊達政宗生誕の地なのだそうです。