米沢と上杉神社(1) [┣その他の旅]
ゆうひさんの舞台を観るために山形まで行ってきました。そのついでに米沢に途中下車。
前田慶次の幟があちこちにテンションが上がる私です。
ここから徒歩で上杉神社に向かいます。
まず、上杉鷹山公にご挨拶。上杉家中興の祖。
なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり
…こう言われちゃ、反論のしようもないわなぁ
こちらは鷹山公を祀った神社です。上杉神社の本山少し手前の右側に参道あり。
中には素敵な庭も。
猫ちゃんが佇んでました。可愛かった
続きます。
播磨国総社(2) [┣その他の旅]
続きです。
ご祭神は、射楯大神と兵主大神とのことで、これは、戦の神ということでしょうね。名前的には。
姫路城の守り神ということで、境内には、姫路城で生まれた黒田官兵衛にまつわるお守りもありました。官兵衛の旗印をイメージした勝守…なんだか、ご利益ありそうですね。
ご立派な門です。
撫でみみづくさん。こちらの神社の使徒だそうです。撫でるとご利益が…
奉納の馬でしょうか。
けっこう住宅街の真ん中でした。
このあと、姫路で食事し、3日間続いた三人旅は終了。
それぞれの休暇を消化すべく、各地へと散ったのでした
竹中半兵衛のまち(3) [┣その他の旅]
竹中半兵衛をめぐる旅は続きます。
竹中陣屋の門です。
石垣、当時のものだと思いますが、野面積みながら、見事な石の嵌まり具合。
石垣見て、かなりテンションが上がった私を、友人たちは気の毒そうに眺めていました。
ここから、菩提山に登り始めました。何かのお社のようですが、不明です。
ハイキングはけっこう大変でしたが、このような電波塔もあったので、少なくともスマホは問題なく使えました。
竹中半兵衛のまち(2) [┣その他の旅]
続きです。
竹中一族のゆかりの品々を展示している菁莪記念館にて。こちらにも、かいちゃんときほちゃんがいらっしゃったみたいです。
そして、(1)で紹介した五明稲荷に匿われていた松寿丸を演じた天彩峰里ちゃんの千社札も
こうやって、役作りのため、そして、宣伝のために、作品にゆかりのある場所を訪れるって、素晴らしいことだなーと思います。垂井町の皆様も、「燃ゆる風」をご覧になられたでしょうか。
こちらは、(1)で紹介した、松寿丸(黒田長政)お手植えの銀杏の木の切り株のようです。400年以上生き延びたそうですが、昨年2月に倒壊の恐れがあるとして、切り倒されました。内側は腐食してしまったのかもしれないですね。
こちらは、竹中陣屋です。
ここ垂井は関ヶ原に近く(電車で一駅)、関ヶ原合戦の時、ここに竹中氏の陣屋が作られました。
もちろん、その時には、とっくに半兵衛は亡くなっていますので、この陣屋は、子の竹中重門のものです。
別角度から。
「陣屋」と呼ばれているのは、江戸時代に竹中重門が旗本の身分になったためで、その前は、岩手城と呼ばれていたとか。
つまり、城、なんですね、ここ。どおりで立派だと思った。
重門の陣屋なのに、なぜか、銅像は、半兵衛重治のもの…知名度の差
竹中半兵衛のまち(1) [┣その他の旅]
GWを利用して、戦国の旅に行ってきました。まずは、竹中半兵衛が菩提山城を築いた岐阜県の垂井町へ。
駅前の観光案内所には、垂井町を訪れた「燃ゆる風」の主演コンビのお写真が飾られていました。
そこで、レンタサイクルを借りたかったのですが、1台しかなく、3人組の我々は、2対1に分かれて観光に出かけました。で、合流して、まず訪れたのが、ここです。
松寿丸が匿われていた地に建つ「五明稲荷」です。
松寿丸とは、後の福岡初代藩主・黒田長政のこと。
父・黒田官兵衛が織田信長に仕えていた頃、荒木村重が謀反を起こし、これを説得に向かった官兵衛は捕えられ、幽閉されてしまいました。官兵衛が戻らないため、寝返ったと思った信長は、秀吉に、官兵衛の一子、松寿丸を殺害するよう、命じます。
この時、秀吉の軍師だった竹中半兵衛が自分の一存で松寿丸を匿い、信長には殺したと嘘の報告をしたのです。
はたして、官兵衛は幽閉されていた有岡城から助け出され、松寿丸も生きて許されたのです。しかし、その時には、半兵衛は既に病で亡くなったあとでした。
五明稲荷に行ってみると、足元には、スミレの花。今年上演された「燃ゆる風」が咲かせたのでしょうか。
五明稲荷の鳥居です。
なにやら瓦のようなものもありました。でも説明書きはなく…一応、ご紹介しておきます。
お手植えの銀杏については、メインブログ「健全な夜のおたのしみを求めて」の5/3の記事にございます。