三井寺の目と鼻の先に、長等山前陵がある。

弘文天皇-天智天皇の息子にして、壬申の乱の敗者、大友皇子の墓所がここにある。
「あかねさす紫の花」公演時、訪れたくて諦めたのがここ。なぜなら、次にこの辺に来る時には、祐飛さん(天智天皇役)は退団しているかもしれないけど、みりお(大友皇子役)はまだまだ在団しているから、次に回そう!と言い合ったのだ。
やめてないし…トップだし…

 

本編ブログにも書いたが、弘文天皇が歴史的に認められたのが明治時代。日本書紀は、壬申の乱勝者の天武天皇の命令で編纂された歴史書なので、大友皇子が即位していた、なんていう記載はない。明治時代にようやく“陵”と認められたので、天皇陵に相応しい広さが確保できなかったようだ。
天智天皇陵を見た後だったので、その無理矢理押し込めた感じが切なかった。

陵のすぐ裏にある、国宝新羅善神堂。国宝なので入れてもらえない。

すぐ外は大津商業高校のグランドになっている。右手奥の杜が御陵から新羅善神堂の辺りかと思われる。反対側は市役所だしなー。ほんと場所がなかったんだなぁ。

おまけの大津絵美人画、藤娘。大津絵は、あちこちにこういうモニュメントがある。