石田三成をめぐる旅をしているはずが…

関ヶ原は、徳川家康と石田三成が戦う千年ほど前にも、雌雄を決する場所になったことがあった。
天智天皇の息子である大友皇子と、天智天皇の弟、大海人皇子の間で…。

その結果、負けた側の大友皇子は敗走して自害、その首が首実験の後、埋められたのが、ここ。

すごい厳かな雰囲気の場所で…
大友皇子の冥福を祈りました。前にお墓にも行ったので、よけい親しみやすい。 

この下の方の川は、合戦当時、血で赤く染まったと伝えられている。

三本杉だけ、異様な姿なので、すごく目立つ。
だからここに首級を埋葬したのか、埋葬されているから異様な杉が育ったのか…でも、たしかに樹齢千年を超す樹だなーという感じはした。

近くに不破の関の記念館があり、そこも訪れて、壬申の乱について、再び勉強してみた。