続きです。



こちらは、首据石。天文3(1533)年に、初代領主亮政が、敵方に内通していた家臣・今井秀信の首をここにさらしたのだとか。



桜馬場、と書かれている。御馬屋跡の上方、大広間跡の前にある曲輪、とのこと。建物の礎石も確認されている。



後ろの供養塔のようなものが何なのかは不明。



別名千畳敷と呼ばれる、大広間跡。


あと、1回くらいで、小谷城は終わりです。