決戦の地 [┣石田三成をめぐる旅]
まずは古戦場西首塚をお参り。そういう時代とはいえ、多くの血が流されたことを改めて感じた場所だった。
しかし、馬頭観世音っていうのが、なんとも…
こちらは西軍(石田三成)本陣駐車場からの風景。
日本人の判官贔屓というか…東軍(徳川家康)本陣には駐車場はないとか
古戦場に翻る、大一大万大吉の陣旗。
こちらは、島左近の陣跡。三成の陣の直下にあった。
三成の陣は、丘の上。佐和山よりは楽な行程。
三成の陣から見た、関が原。木が育っていまいち見晴らしが…(汗)
石田三成陣地跡。400年前、ここで三成は何を思っていたのでしょうか?
ゆかりの写真 [┣石田三成をめぐる旅]
ここから先は、ゆかりの場所で撮影した写真。でも、なんだか忘れてしまったものです。
写真をよく見ると、佐和山城の城門だったと伝わっている場所のようですね。
宗安寺の山門。通称赤門ではないかと…。
そうだとすると、佐和山城の大手門を移築したものらしい。
その礎石かなんかだったように思う…(記憶が…)
こちらは妙源寺。
佐和山城の裏鬼門に位置するらしい。花しょうぶ通り商店街の帰りに撮影しました。
彦根城のアイドル [┣石田三成をめぐる旅]
彦根城に行ったからには、アイドル「ひこにゃん」に面会しなければ
では、ひこにゃんのアイドルっぷりをお楽しみください。
彦根城からの帰り道、ゆったりとお堀に白鳥が泳いでいた。
彦根城 [┣石田三成をめぐる旅]
佐和山を下りた後、まず行ったのは、彦根城。これは、鐘楼。
石垣について、テレビで見たばかりだったので、ちょっと石垣を眺めたりして。こういう天然の石垣の方が崩れにくいんだそうで。
時間の関係で、天守閣には登らなかったが、雄姿はしっかりカメラにおさめた。
お堀は青々と水を湛えていた。
こちらは休憩した鳳翔台(笑)から、二の丸を臨んだ景色。
佐和山にて [┣石田三成をめぐる旅]
佐和山城は、その後、井伊家が入ることになったが、彦根城を作る時に解体され、跡形もなく消えた…とされていた。しかし、撤去漏れした石垣が残ってることが分かり、今は観光名所になっている。隅石といって、角っこのところの加工した石とのこと。
こちらは、千貫井戸。山の上なので水は貴重、ということで千貫の価値があったって意味らしい。
山から石垣などを運ぶ手段は、天然の斜面を転がり落とすこと。
そうやって、城ごと解体して滑らせた斜面は、400年経っても、木一本生えてこないとか。
なんだか、いろいろな人の恨みを買っていそうな斜面…
ちなみに、佐和山城は山城なので、有事の時しか使用されない。
三成公は、平時、街の方に暮らしていたそうで、それは、この下のあたりだそうだ。