彦根城(8) [お城]
続きです。今回で彦根城は最後かな。
彦根城の庭園、玄宮園にも行きました。龍臥橋かな。
玄宮園に行くのは、3回目かな。一度、夜の玄宮園を訪ねたことがあったはず。高橋を渡りながら。
向こうにお城が見えます。
中央の大きな池(魚躍沼)の風景。正面は鶴鳴渚。
こっちサイドのお城も覗いています。
第1回大河ドラマ「花の生涯」の碑。
「花の生涯」は、井伊直弼が主役だったので、彦根城に碑があるんですね。
長々とお届けしてきましたが、彦根城はこれでおしまいです。
彦根城(7) [お城]
続きです。
ひこにゃんのグリーティング、7年ぶりかなぁ
やっぱり、可愛い
百名城のスタンプ所前にも、等身大のぬいぐるみが…
写真だと、着ぐるみかぬいぐるみか、わからないですね。
(7年前は、まだ、百名城のスタンプのことを知らず、城にも興味がなくて、ただ、ひこにゃんに会いに来たのでした。なので、あらためて、スタンプをいただきに来た…というのが、今回の旅の目的です。)
そして、7年前に果たせなかった、屋形船乗船。ひこにゃんのグリーティングもそこそこに、行ってきました。
お堀には、白鳥が優雅に泳いでました。
アップ…と思ったら、そっぽ向かれました…
お堀周辺の石垣にも目が行きます。
上の方に続いている石垣が気になります。
続きます。
彦根城(6) [お城]
続きです。
こちら、天守閣です。
足場が組まれてますが、中も普通に入れました。
真下から臨む天守閣。
天守閣に登って、眺める琵琶湖。
転用石の多い、天守下の石垣。なんかこぼれだしそうですが…
暑いので、ひこにゃんの提灯の横から、ミストが吹き出してました。
続きます。
彦根城(5) [お城]
続きです。
というわけで、こちらが、実際の佐和山です。関ヶ原の後に佐和山城主となった井伊直政が、山城である佐和山城から、城下の彦根城に移ったというのは、納得できる。そして、彦根城は、城下に移ったデメリットを払拭すべく、数々の防御システムを備えている。
はい、こちらも佐和山。
こちらが太鼓門櫓。裏側は、高欄付の廊下にという珍しい構造だそうです。
時報鐘。現在も使用されているとのこと。「日本の音百風景」にも選出されている。
幕末の12代藩主直亮の時、より美しい音色にするために、鋳造の際、大量の小判を投入したとか。
正面は琵琶湖。海みたいですよね。
続きます。
彦根城(4) [お城]
続きです。
石垣。色々な形の石があるのは、転用石が多いから、とか言われています。
佐和山城から移築された石垣もあるそうです。
こちらは、鐘の丸。築城当時は鐘楼がここにあったが、鐘の音が城下まで聞こえなかったため、移築されたとか。
正面に見えるのが、佐和山です。
こんな風に彦根城にも、佐和山と佐和山城のことを知らせるものがあるのは、嬉しい。
彦根城(3) [お城]
続きです。
堀と櫓。いよいよ、彦根城です。
堀はここで行き止まりのようですね。
この石垣、すごく目にとまりました。
隅石のところは切り込みはぎになっているのに、内側は乱積みなんですね。これって、全部切り込みはぎにするより、難しいのではあえて、古い石をそのまま使おうとしているかのようです。
一部に苔が生えているのでしょうか
この櫓同士を結ぶ橋、廊下橋と呼ぶらしい。左右の櫓を結ぶ橋になっていて、戦時下では、これを落とす決まりになっていたとのこと。
彦根城(2) [お城]
続きです。
みつにゃんやさこにゃんのイラストもありますね。佐和山城の在りし日のイメージでしょうか
翌朝、あらためて、彦根城へ。
この辺は空堀になってますね。
こちらは水堀。
趣のある石垣です。手前の松は、いろは松と言われ、昔は47本植わっていたとか。
続きます。
彦根城(1) [お城]
彦根城の写真をご紹介していきます。まずは、駅前の風景。
ひこにゃんは、彦根の象徴なんだなー、やはり。
こちらは、彦根縁起。古事記によると、天照大神の御子である、天津日子根(あまつひこね)命と活津日子根(いくつひこね)命の兄弟神が、この彦根の地で国造りのために鎮座したとのこと。
また藤原不比等の領地だったこともあり、奈良時代には、都に劣らぬ地方都市だったようです。
一応、井伊直政、石田三成を「彦根が生んだ二大偉人」と称しているようですね。よかった
道路にもひこにゃんフラッグ。
三成の甲冑モデルです。みつにゃんもいますね。
イケメン三成さんのお姿。〇で囲った中は、「真田丸」で三成を演じた山本耕史さんのサインです。
続きます。