道後温泉(2) [┣その他の旅]
続きです。
道後温泉には、聖徳太子も行ったことがあるそうで。
当時の宮廷の方々には、メジャーな場所だったのかな
こちら、展示されている「坊っちゃん」号。
時間の関係で私は乗れなかったのですが、実際に、松山駅前から道後温泉の間を観光客を乗せて走っています。
横から。
こちらは正面から。
で、この道が、「熟田津の道」です。
そうです、額田王が、
「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出な」と詠んだ熟田津への道だそうです。
わくわく~
GWの長い一人旅は始まったばかり。
でも、幸先いいな~と思った道後温泉でした。
湯築城(4)&道後温泉(1) [お城]
続きです。
展望台の上から見下ろした壇。
広さもそれほどないので、近世城郭のイメージで見てしまうと、ここはなんなのだと思ってしまう。中世城郭の世界…奥深い…
内藤鳴雪の句碑。
「元日や一系の天子不二の山」
と書かれているようです。
内藤鳴雪は、松山藩の武士から明治政府の官吏となった人物で、在東京松山藩子弟の寮「常磐会寄宿舎」の監督を引き受け、正岡子規らの漢詩の添削をしたこともあったとか。その後、親子ほど年下の子規に弟子入りして俳句を始めた。
天皇陛下万歳以外何も言っていないおおらかな句だな~
ミニSLが走ってました。
少し歩くと道後温泉。
ここが有名な道後温泉本館。GWでめちゃくちゃ混んでいたため、外観を撮影しただけ。
お風呂に入る…となると、(ここは、入浴と休憩だけで、泊まれない)おひとり様はちょっと寂しくて、さすがに何時間も待ってトライするのはできなかったです。
襖絵が素敵ですね。
湯築城ではないですが、続きます。
湯築城(3) [お城]
続きです。
堀は一部せき止められて、どろどろな感じ。でも、切り立った崖が素敵
こちらも堀と崖です。
こっち側は、フラットになっているので、人工的な土塁ですね。
崖の続き。
本壇と江戸時代に呼ばれていた郭。一番高いところです。面積約420平方メートルだそうです。河野氏の時代、どのような形式の城であったかは、まだよくわかっていないようですが、堀切とか鍛冶炉のあとなどは見つかっているようです。
続きます。
湯築城(2) [お城]
続きです。
湯築城は、中世から四国を支配していた河野氏の居城。豊臣秀吉の四国攻めまで、400年近く支配していたとのことなので、戦国の城というよりは、中世の居城を戦国期に増強したと言った方がいいのかな。
こちらは、武家屋敷の中です。
普通の平屋でした。
こんな感じで会議をしていたのですかね。
武家屋敷の外側です。なんか、ほのぼのした感じの史跡でした。
外堀土塁の展示室。外堀を掘った時に出た土を盛り上げて作る土塁で、「掻揚土塁」と呼ばれているとか。
すごい高さです。
外堀土塁の内側です。外の状態がよくわからない程度には高いです。
続きます。